クラスメソッドと僕。あるいは退職エントリ。
はじめに
こんぬづは、このたび約2年勤めていたクラスメソッド株式会社を退職する、モバイルアプリサービス部の田中です。
この記事は退職&ありがとうエントリです。この2年を振り返って 「最初の就職がクラスメソッドでよかったな」 という気持ちが溢れたので、クラスメソッドとの出会いと、気持ちを綴っていきます。
AWAYOKUBA、転職を考えていてクラスメソッドが気になる人の参考資料になれば幸いです。
クラスメソッドとの出会い
以前からDevelopers.IOを読んでいて、イベントレポートがよくあげられていたことと、日々の開発でブログを参考にしながら開発をしていたことを覚えています。 学生の頃からブログを書くことと、IT勉強会などのイベントに参加することが大好きだったので、クラスメソッドに興味を持っていました。 僕と同じようにDevelopers.IOをたよりにクラスメソッドに入社する人は今でも多く、本当にブログが宝になっているなと、入社してから実感しました。
その興味から、知人の紹介で会社見学に行ったことがファーストコンタクトでした。 たまたま上京したタイミングで喉風邪をこじらせ、ほとんど喋られない状態だったのを覚えています。今では笑い話ですが、佐久間町オフィスの近くにある「割烹 田中」で定食を食べながら、かすれた声で、用意したスライドを使ってなんとか自己紹介をしたのは、良い思い出です。 就職してから、見学を担当してくれた人には「あの声の人が入ったらどうコミュニケーション取ろうか悩んでた」と言われました。
Swift/iOSを求めて東京へ
新卒での就活当時、出身地の仙台ではSwiftを使ってiOS開発をしている会社が見つかりませんでした。Swiftは生まれた時から触っていたので「就職するならSwiftでiOSアプリを作れるところ!」と決めていたのですが、地元には無く、残念な気持ちでした。
東京で探したとき「ブログ書き」、「イベント参加」、「Swift/iOS」という自分の生活軸がぴったりと当てはまったのがクラスメソッドだったので、エントリーしました。クラスメソッドでは当時から(今も)新卒採用を行なっておらず、中途でのエントリーしかできませんでしたが、自分のSwift力を信じて突撃しました。入社してから聞いた話ですが、自分の技術面接の内容がどうだったか聞いたところ、「満場一致で文句なし」と言われて、今でも誇りになっています。
一通りの面接が終了し、東京観光して帰ろうと思っていたその日の夕方に採用の連絡が入り、「スピード感最強やな」となったのを覚えています。意思決定が早い会社って良いですよね。
卒業失敗
一次の面接官だった嵩原からの 「卒業できそうですか?」という問いに、全力で「大丈夫です!」と答えた当時の俺を殴りたい。
大学の単位区分ごとの必修単位数を取り間違えていたため、内定が決まってから半年留年しました。今でも覚えています、卒業判定の日に「取得単位数: 128/128」と書かれているのに、判定が「留年」となっている成績通知書を手渡されたあの日を。
「留年によって就職ができないなら、大学を中退してでもクラスメソッドに入りたい」というアツい気持ちをつづったメールを会社に送ったところ、 「中退はもったいないので、半年間大学に通いながら、バイトという形でJoinしてみませんか?」と、一緒になって方法を考えてくれた対応はまさしく神でした。 誰にでもまかり通るやり方じゃないし、絶対に迷惑をかけたはずですが、本当に助かりました。ありがとうございました。
AKIBA.swiftの発足
入社する前から、「東京に行ったらSwiftの勉強会コミュニティを立ち上げたい」という相談をしたら、ちょうど会社でもその機運が高まっていたので、入社と同時に運営として参加しました。正式入社(9月頃)から本格的に運営ができることになり、主催を努めさせていただきました。
AKIBA.swiftを運営してきたのはとても大きなみのりでした。東京に出たばかりで知り合いが少ない中、それを増やせたこと、自分が他のコミュニティにも参加することで中の人と知り合いになり、合同でイベントを開催することもありました。AKIBA.swift1周年を記念する合同勉強会では、200名弱の方々に参加いただいて、やりがいの塊でした。
こうした活動を通して、自分の認知度が上がっていくのを感じられたのはとても嬉しかったです。カンファレンスやイベントの折に、「ダンボー田中さん(ネット名)ですか?」とか「あっ!ダンボールの人だ!」と声をかけてもらえるのは楽しい体験でした。
参加してくれた皆様、サポートしてくれた皆様、本当にありがとうございました。
書きたいブログを死ぬほど書けた
ブログは本当に頑張れてよかったと思うことの一つです。クラスメソッドは「ブログの会社」とよく呼ばれているのですが、自社メディアのDevelopers.IOに書く記事の場合、業務時間中に書くことが許されているのは大きかったです。おかげで所属中の二年間、それぞれ年100本ずつ記事を書くことに成功しました。
ブログを書いていると、良い効果が色々とありました。ドキュメンテーションがある程度苦でなくなったり、社内外での認知度向上になったり、最近では書籍執筆などの話もいただけるようになりました。社内文化として、要素技術について調査が必要になったとき、ブログを書いてそのリンクを必要な人に送りつけるのも好きでした。
あ、あとブログについて書くと、「でも本数のノルマとか決まってるんでしょ?」というネガティブな意見が大体ついて回るので否定しておきますが、ノルマはありません。
大きなイベントでの登壇
iOSオールスターズ2とiOSDC(2年連続) で登壇しました。それぞれ2, 300人規模のイベントでした。この規模で登壇すると、人数ではビビらなくなるのでとても良い経験でした。
当初iOSオールスターズ2では弊社諏訪が登壇予定だったのですが、都合が合わなくなり、急遽一週間前に登壇が決定しました。部長の大橋(顔が怖い)から理由も告げず「ちょっと」と呼び出された時は、「絶対なにか怒られるやつだ...!顔怖え...!」となっていたのですが、怒られではなく登壇依頼でほっとしました。(怒っているのでなければ怒っていない雰囲気が欲しい)
依頼されたときを振り返ると「えっっっ、待って、一週間前...!?」だったのですが、まあどうにかなるやろって気持ちで引き受けました。で、前日まで全力でスライドの書き換えをやっていました。 とてもクラスメソッドらしいですね。 なんとか会場の笑いも取れ、最高に楽しいイベントになりました。そしてバトンタッチ対象に選んでもらえて嬉しかったです。
東京に来てやりたいと思っていたことが全部出来た
僕が東京に出る時、やりたいと思っていたことはいくつかありました。
- Swift/iOS
- ブログを書きまくる
- イベントへの参加、運営
- 大きなイベントでの登壇
- 友達を増やす
先述した通り全部できました。
これらを達成するためには、大きな裁量が必要でした。裁量というのは、「やることをやった上で好き勝手やる」という意味で捉えているのですが、クラスメソッドにはそれがありました。社員に裁量を与えるためには、信頼と、会社をホワイトにしていこうという強い意思が必要だというのを、中に居て実感しました。
入るときにここまで考えてはいなかったですが、今になって思えば、自分にとって 最初の就職がクラスメソッドで良かった。
人生の幅を持たせるために転職へ
じゃあなんでここまで良いことずくめに思える会社を退職するのか、について言及しなければ締まりが悪いでしょう。理由は大きく2つです。以下に挙げるものは、どこか、誰かへの批判ではないし、個人の考えです。
to Cがやってみたかった
僕が所属していたモバイルアプリサービス部は基本的に受託業務が中心となるため、to B向けの案件を取り扱うことになります。2年という時間を過ごして、「アプリ開発ならto Cもやってみたいな」という想いが強くなりました。
身近なものを開発したかった
これは完全に個人的な感情ですが、お客さんにとって必要なものが、必ずしも自分にとって共感できるものではないという現実がありました。「to Bのお客さんにとって必要なもの」ではなく、「自分が日常的に使うアプリを作りたい」という想いが強くなりました。
上記二つをふまえて、これまではto Bの受託仕事を経験したので、じゃあ「to Cだとどうだろう?」「自分が共感できるものを作る仕事をするとどうなるだろう?」というのを、人生の中で経験したいタイミングが今でした。色々やってみて、最終的に自分にとって居心地の良い生き方を見つけるために、転職という手段をとってみました。
クラスメソッドでは君のエントリーを待っている
ということで、自分の話はここまでです。
居なくなる人間がこれを言うのは無責任かもしれませんが、ここまで長々と語ってきた通りクラスメソッドは良い会社です。気になる方はぜひ応募してみてください。新卒の方でも、枠は用意していませんが、能力が伴えば中途扱いで入れるので、トライしてみてください。
この記事が良い採用につながり、クラスメソッドのさらなる発展につながれば幸いです。2年間ありがとうございました。